幼き頃のちいさな記憶

幼き頃の記憶をなぜか断片的に覚えていることってありませんか。


まぁあるでしょう普通。





「普通」ってなに。





そんな深い話したくてブログ開いたんじゃないんですよ。




大きな話は当然として、

どうでもいいような些細な記憶を定期的に思い出すことがあります。


ちなみに『「当然」の漢字は「当たり前」と同じ意味なのに「当前」じゃないんだぁ』と思うこともありますが、この話は死ぬ前まで取っておこう。




以前も書いた話もある気もするけど、

今日はそんな誰しもきっとあるなぜか残っている思い出に触れよう。





Ep1. 脱脂粉乳からの脱出。


保育園に通っていた間、たしか1度だけ。

近所のおばちゃんが迎えに来てくれた日があった。

その登場シーンをよく思い出す。



保育園に通っていた頃、おやつの時間が嫌いだった。


幼稚園と違ってなのか?お昼寝の前か後におやつの時間がある。

一見、楽しそうだが、ここで出てくる脱脂粉乳という国からギリ飲料として認められてしまったヤバい粉の乳を飲まねばならず、それがとにかく嫌だった。


味は、生きていくため本能的に記憶から既に抹消されているが、とにかくまずかった記憶だけはある。


保育園に通うまでは晩飯のときも飲むほど好きだった牛乳が、

この脱脂粉乳を体内に投乳されてから飲めなくなって今に至っている。



で、いつもならおやつも食べ終わり、夕方母親が迎えに来てくれるのを待つわけだが、

この日は理由は忘れたが親が迎えに来ることができず、近所の○○さんが迎えに来てくれることになっていた。


この時に出たおやつがお好み焼きから具とかそばとか全部抜いたver.みたいな小麦粉の化身だったが、それを食べているときにおばちゃんが登場した。


「よっしゃ~!この美味い小麦粉の化身だけ食べてギリ認可されてしまった粉の乳を残し、さっさと帰ろう!」


という、この喜びの瞬間を未だにたまに思い出す。


二度寝したときに夢に見ることもたまにあるくらい思い出す。

この脱脂粉乳からの脱出劇が、幼き頃の自分の1ページ。






Ep2. からあげ担当。


小学5年か6年生のとき、林間学校との遠足で班のみんなでお弁当を作ることになった。


その会議で、誰が何のおかずを作って持ってくるかという話になり、

当時から唐揚げが大好きだった私は、日ごろから料理の手伝いをしていたこともあり、

「唐揚げは作れる」と思い、唐揚げを担当することとなって帰宅した。


家に帰り親に「こうこうこうで、唐揚げを人数分作ることになったよ!」と報告すると、


母「え、(たまご焼きとかに比べて)高くつくね…。」


と、ボソッと言われ


その瞬間、"お金のことを気にする"という頭が全くないまま、話しあいの余地はあったにも関わらず自ら率先して唐揚げという親に出費を多く強いることを選んでしまった自分のことをとてもふがいなく思い、親に対して残念で申し訳なく自責の念にかられた。


たぶん親もそんなに気にしていたわけでもない。

ついふと思ったことが口から出ただけ。


ただなぜかこれが未だに、あの時の「申し訳ないことをしたなぁ」がどこかずっと残っていて、申し訳ないことをした時に一緒にたまに思い出してしまう。


もっと申し訳ないことはたくさんあるのに、この凡ミスが記憶から消えないのはなぜなのか。



しかも、当日はみんな遠慮してあまり食べなかったが、

林間学校のそこで初めて会った朝鮮人の太った男の子にほとんど食べられてしまい、

先生の「よく食べるね~」という言葉に苦笑いで応えるしかなかった。


このお弁当の中で最も家計を苦しめた俺の唐揚げが、

これまで息子と仲良く遊んでくれたみんなが食べるわけでもなく、

今日限り会うこともない人が食べているということは墓場まで持って行こうと思った。


(人種体格差別ダイバーに餌を与える表現しちまって反省だなぁまったく)




Ep3.


と、3つくらい書こうとしてたんですけど。

すごいいい感じに眠くなったからこのまま寝まーす


おやすみ...zzz



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