書くことないけど書いてみる。

観劇の感想も5,6個書けていないのだけれど、


最近は少し文章を書きたいという欲望が落ち着いてた。




自分にとって文章を書くことはたぶんリストカットみたいなものだから、

今は精神的に落ち着いているから文章を書かないのかもしれない。



そして、案の定少しソワソワしている今日みたいな日にここを求めて今文章を書いている。



人生なのでいろんなことを悔やんだり、納得したりを当たり前に繰り返し続けるけれど、それでも今の自分はここ最近の中ではまぁ落ち着いている気がする。



幼き頃からずっと幸せに暮らしていたし、常に今がピークだった。


過去は美化されるものだけど、個人的には美化していることもなく割と良い人生を送っていると思う。



それは今も変わらない。

今にとても満足している。




いろいろあっても前に戻りたいと思ったことは生きてきて正直に全くない。


きっと戻ったところで何も変わらないからなのか。

また同じような思いをするのはごめんだと思っているのか。


そんな負の方の逃げからそう思うのかもしれない。

これは自分でもわからない。


でも理由はわからないけど、常にどのシーンにも後悔は残っていない。



いや、後悔はしているけど、まぁしゃーない。



いや、本当は少しだけ戻りたい気持ちもするけど、

やっぱり今でも十分幸せだから今が良い。






就職して実家を離れて以降は、いつ死んでもよかった。

どの瞬間も声を大にして幸せだと言えた。



嘘なく生きてきたし、どの選択も一生懸命考えて決めてきたし、

いくつか間違いはしたけど、思い残すことはない。



家族が全員死んでからだったら、

いつ死んでもよい。



やはり死ぬ人を見送るのは辛い。あまりにも辛い。

俺は家族みんな好きだし、みんなも俺のことが好きだ。


だから


特にこれまで死にたいと思ったことはないけれど、

例えば道を歩いていて刺された時に


「あー刺されたなぁ。俺の人生楽しかった。」


ってそのまま死ぬのか。


「俺が死んだら家族が悲しむから絶対死なねぇ」


と、なんとしても生き抜くかの話でいうと。



いつ死んでもよかったけど、家族が全員死ぬまでは絶対に生きると思ってた。



ただ今は違う。



家族がみんな死んでも、俺が死んだらなんかすごい精神的にダメージ食らいそうな人の顔が家族以外に少しだけ浮かぶ。


家族が全員死んでも、なんかまだ死ねない。



自分のこととなるとメンタルよわよわ人間だけど、

実は他人のことだとつよつよだったりする。



みんなが悲しむのは嫌だから、他人に対してメンタルつよつよの俺が大事な人の死を見送ってあげたい。

俺が死んで辛い思いをさせたくないからみんなが死ぬのを見届けたいと思う。



みんながいなくなって悲しくて耐えられなくても。

最後の1人まで。



あ。


やっぱり無理かもしれない。

今まさにこの話を書いていたときはそんなつもりだったのに。




みんながいなくなったらやっぱり生きていけないかも。

ひとりって怖いなぁ。



想像したら、やっぱり俺にも難しいかも。

こういうのってみんなはもっと前に想像するものなの?




全員は無理かも。

例えば5人のうち4人は見届けるから、俺のことを悲しんでくれる人が1人いる世界で死にたい。


残った1人には俺とは別に大事な人がたくさんいたらいてくれたらいいな。

そしたら悲しくても立ち直れるもんね。






生きていたら寿命は減るのに、大事な人が、大事に思ってくれる人が増えていく。


生きていたら死に近づくのに、死にたくない理由が増える。





ずっと1人じゃなかったけど、この先1人になるんだろうか。

常にピークな今はいつまで続いてくれるんだろうか。








周りがみんな跳び箱跳んでた時は跳べなくて、

みんなが飽きた頃にやっと跳べるようになった。



みんながいろんなもの食べてるときは食べられなくて、

最近ようやくいろんなもの食べられるようになった。



幼少期から今までずっと


みんながいろんなことやり終わったあとに

やっと俺の中で始まって。




その時には全部もう遅い。




早生まれだから遅れてるのかな苦笑





なんか前もこんなこと書いてた気がするけど何を公開して何を公開したないのかわからんくて。




寝なきゃね。


またあした




うたかた日和

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