どこまでがお客さんなのか。
↓ハバナイ27の続きです。
ハバナイ27感想は
とてもよい舞台でしたが残念ながら自分が見た回は演劇としては壊れていたと思います。
劇場内で役者さんより誰よりも大きな声でずっと相槌のようにしゃべったり、しんみりするシーンで大声で「ハハハ!!」と笑ったりを1時間繰り返すお客さんがいました。後半1時間は疲れたのかなぜか静かでした。
そういう方がいるのは知っているのですが、だからといって多様性を尊重して放置するのが正しかったのか。
1番後ろで見ていましたが客席のお客さんはみんな最前にいるその方をずっと気にして見ていました。
みんな2時間ずっとあの人がいつ話し出すのか、いつ大声で笑うのかビクビクしながら観劇しました。
この舞台を守ってくれなかったことが残念でした。
自分が次に大声でしゃべるお客さんに遭遇したらもう何も言わずに去るだけなので「またこの人見に来て嫌なこと書くのでは?」という心配はいりません。そこはご安心を。
大事なシーンで全く情緒と的外れに爆笑するというのは個人的には大罪だと思いますが、声を出して笑うのがダメではないので、ルールを作るのは難しいかもしれないけど
"なんか嫌"だったら注意してそれでもダメだったら退場で良いのではないかなと。
見れない人がいるのは仕方ないと思います。
自分がメガネやコンタクトを外したら何も見えないのと同じように、みんな出来る事できない事はあって当たり前だとも思う。
その方の人格まで否定しているわけではない。今の形の小劇場の舞台を見るのは難しかったと思うというだけで。
こういうのは第27班さんに限らずで、
何より言いづらい部分なので難しい話だと思いますが、
現状自分の中に
「第27班さんの舞台に行くと低確率でこの人と一緒に見るのか。無理だな。」
という感覚が残っている事実は変えられないなと。
みんながみんな好き勝手に見る方法があればいいんですけどね。
いや見る方法があればいいんですかね。
自分が好きなバンドは、ライブで泣き出したこどもを連れ出そうとする親に、ステージから「俺らのライブはこどもの泣き声込みのライブだから気にする事ない。それが嫌なお客さんは来なくていいから。」と言ってくれるけどそれはみんなにとってもありがたいです。
自分はこどもの声はあっていいと思うからそのライブに行くし、それが嫌な人は来なくていいよとハッキリ言ってくれるのは、嫌と思う人に嫌な思いをさせない意味で誠意あると思う。
決めてさえくれればね。
なんというか、
AmazonもGoogleもTwitterもみんな、
例外に対して対応しているからサービスを継続できているので
運良く使うユーザーの質が良いわけではないですからね。
意図してサイトを壊すような攻撃をしている人もいれば、意図せず壊す人もいますが、
この世のあらゆるものは運がいいわけではなく都度ちゃんと対応しているからユーザーは問題なくその製品を使えるしその場は守られてると思うので
それはアイドルも演劇も例外ではないかなと。
もちろんリソースは決まっているのでできる範囲ですけど。
個人的には開始5分で今回の異常は検知できたのでその時点で声をかけてほしかった。
でもあれがみんなの中では許容範囲で自分の中で異常だったのならそれはそれでサヨナラでいいかなと。
まぁ注意するのも嫌だし、こんな感想書くのも嫌だし、俺だってあの人にも楽しく見てほしいです本当に。みんなが楽しく見れればいいけど。
むずかしいなぁというお話でした。
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