だいじ。

だいじなひとっていますか。



いますよね。
あたりまえですね。


あたりまえではないですね。

すみません。





友達や家族とかは、だいじがちだと思うけど、



それらを除くと、
自分にとってタテウチはやっぱだいじかなって最近思って。

(※m sel.主宰の天才脚本家こと舘内大先生)





本来であれば5/20から5/24まで。
m sel.の第二回公演だったんです。



新型コロナがなければ。






タテウチは



勝手な話だけど、


俺が言いたいこと、思ってることをカタチにしてくれる人で。




似てる。
たぶんすごい似ていて。(勝手に)




タテウチのブログに並んでる言葉たち、
だいすきで。




一般人の俺には言いづらいこともあったりして、



いつもなんか意味わかんないこと言ってるんですけど、
あれを読んでる時間はとても安心するというか。




意味わかんないこと言ってるなぁ。
すごいわかるなぁ。って(笑)







言葉って



自分ではそんな意味持たすつもりがなくても、
自分の置かれた現状とかを知っている友達が見て、


余計な意味まで持っちゃったりして。




発信者より受信側が意味をつけるものではあるので、仕方ないんだけど。



そういう意味でもブログやTwitterに何か書くと、
読み手がいろんな付加価値をつけるので、
自分は書きづらかったりするけど。



タテウチが表現してくれるから
すごくありがたい存在。




それに、ある意味で遠い存在だからこそ、
プライベートの細かなことに関わらない人だからこそ。



言葉を受け取りやすいですよね。
きっと。






昔から


「筆者はどう思ったか」


って国語の質問が本当に嫌い過ぎて。
子供の頃、かなりイライラしてて笑。



「筆者がどう思ったかじゃなくて、おまえが筆者がどう思ってると思ったか、な。」

と、回答に対して冷たくあたるめんどうな子供でした。



国語や道徳の点数はいつも低かった。
こう思ってたんじゃないかみたいな、細かい気持ちまで救いたくなっちゃって。








で。

そう。


この歳になって、俺は今の仕事やめてまで舞台を作ろうと思わないし、

あくまで観る側なんだけど。


表現したいことってわりと出てくる。




そんな中で限りなく俺が見たい舞台を作ってるのが、タテウチだから。



だから。


どうしたって自分の最優先なんですよねこの人は。




俺の頭の中をカタチにしてくれるなんて、
すごいこと。



俺が思ってた感情を他人がしゃべってて、
カタチにまでしてくれて、


それが俺のためではなく、偶然で。



それはもう自分にとっては奇跡かなって。




だからこの人のこと俺はだいじなんだなって。




友達も数ある人達の中で、

どこまでホンネで話せて、どこまで距離を詰めるかみたいなの

難しくて、本当に気が合う人ってめったにいないから

だいじにしなきゃって思うんだけど。



自分が思ったことを言い続けていて、

それを表現できる人を見つけられるのって。



これを見つけられたと思ってるし、

そうなるとやっぱりその存在はだいじ。






タテウチは、
俺のだいすきだった劇団に途中から入ってきて。


それから舞台を見ていて、
Twitterとかで発する言葉たちに共感して、


いろいろあって去年、はじめて脚本、公演プロデュースをして。




何年前か知らんけど、自分は関わる人を間違えてなかったというか。





来年、また演劇をなんの心配もなく観れるようになったら。


またこの人の舞台観たいなと、
思った、そんな日でした。




じゃそんな感じで。



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