ザレ×ゴト『双子の空』観劇。

演劇ユニット ザレ×ゴト

『双子の空』


2/27(土)14:30の回を観劇。


なんだかんだもう1か月半ほど経っちゃいましたね。

今更ブログ公開する意味もへったくれもってやつです。




去年は視野を広げようと観たことのない団体さんの演劇を沢山見た結果、なかなか厳しいことも多く。




「今年は好きな劇団だけを観よう。」



と、心に決めた矢先に


今年一発目の観劇が初めての団体さんでした。

(公演中止も重なり)




意思が疾風のごとく弱い。




(※「疾風のごとく」は絶対違う)






観劇の前々日くらいにこの作品を認識し、あらすじを読むと”パラレルワールドのお話”とあって。



これを読む1日前にパラレルワールドの意味不明なブログを書いてた直後だったので、

この偶然に「えー怖すぎ~っ、どんだけ~」と思いつつ(IKKOさんだった場合)


何か縁を感じつつ


いざ、せんがわ劇場へ。







座席も一番後ろの席で久々に椅子に深く腰掛けて背筋ピンとして見れたので快適だった、1番後ろ最高すぎるほんと。




と、



あのそのまぁその、

正直ここは良い感想ばかりを書くブログではないんでアレなんですけど、



ラスト30分にいいなと思う気持ちが詰まっていて、純粋にあそこにいた「いいひとたち」に触れて気持ちのよい時間になったなぁとまず思う。


今回は黙っとくか迷いつつ感想書こうかなと思いましたはい。

(ツイートしなければ誰にも見られることもないのでね)



じゃネタバレします!あざしたー










と、

本当はもう少し無駄な話をしたいのでしますね。



この無駄な話を読んでもらってから「実はそんなにいい感想じゃないことが書いてある」とか人の気持ちを裏切る行為するのが気が引けたので…。

みんな寿命も短いので。



で、


調布付近なんて味の素スタジアムにサッカー観に行く以外では決して通ることのない場所ですから。


仙川駅という存在を生まれて初めて知りました。



ただ、あるわあるわ、良さそうなランチが。




仙川駅を出た瞬間の「あーここはおそらく良い街だ」という直感。


歩けど歩けどイイ感じのお店の数々。



しかし、時間もないしお腹も一つしかない。


俺は仙川の「せ」の字も知らずに帰るのだなと思いながら入ったのは、せんがわ劇場から徒歩3分ほどのなんちゃらかんちゃらというお店(忘れただけ)。



イタリアンかそれ系で、

虎がどうこう書いてた気がする。

(トラットリアだろたぶん)

(このおもんなさは減点)

(質がおじさんすぎる)

(嫌い)

(死んで欲しい)

(そこまで言わんでも)

(人の失敗は許せても自分の失敗を許すのは他人にしかできないこと)






イイ感じの階段を上がり店に入ると、

イイ感じの店内と良い感じのお兄さん。



”飛騨牛のボロネーゼ 1500円”


パスタだけで1500円ランチは思っていたよりちょうど300円高かったが、

もしかしたら少しだけいいお店に入ったのかも。


そう思っていたら、

マッシュルームのスープとオリーブか何かのフォカッチャが出てきた。



フォカッチャまでくるとは思わず、

飲みかけのスープとパシャリ。


フォカッチャができたてっぽくて本当においしくて

「お好みでオリーブオイルに付けて」と言われたため試してみると、

お好みだったので、オリーブオイルに付けて食した。

(たくさん文字書いてるけど何も言ってないのと同じ)




そして登場した”飛騨牛のボロネーゼ”。



細めのゲッティは若干やわらかめだった。

これが意図的かミスったかは1度行っただけでは判断できないが、

お皿にぶちまけられたチーズと絡めながら食べるととてもおいしかった。


「これならちょうど1500円だわ。」


(普通はここで「1500円なら安いくらいだ」って言うんよ)


と満足げにお店を後にした。

余談だが、登りでは気にならなかった頭上のこのミノムシをオマージュしたであろう障害物が下りだと気になり、

具志堅ばりのフットワークで避けながら降りたのだが、



「登るときは見えないものが下るときに気になる」というのは、何か人生的なものを感じた。



本当は店名も覚えているのだが、仙川のお店を1件しか行ってないので、

「仙川に来たらココ!」と言えない状況で公表は控えたというのが真実。






さて。


気が済んだので、いい加減舞台の話をします。







これは悪口じゃなく本当の話で

ラストの”取って付けたような結末”が好きでした。

あれがなかったら印象かなり違った。



実際のところ115分の中で、後半30分くらいから話が動き出して

最後の結末もかなり強引な超絶ハッピーエンドを迎えるので、


この強引なハッピーエンドによって、それまでに起きた不条理というかモヤモヤは強引とはいえ、わりと綺麗に消え去りました。




ただ一貫して主役のカスミにあまり共感できない部分があったのが一つ難しくした要素かな。




「愛する人を若くして亡くした」


という



確かに不幸には変わりないし、特殊な経験のようだけど、渋谷のスクランブル交差点ですれ違う人の1割以上が経験している実はこの世の中に溢れまくっているそんな超ノーマルな人の


「死んだ彼に謝りたい」という


なんというかほぼ全国民が持って生きている後悔から始まり。



”だから共感できるじゃん”という側面も確かにありつつも、

ただみんなそれを抱えながら生きている分、


自分の気持ちを解決するためだけに別の世界に行って、

そっちの世界の人の事情より自分の気持ちを優先するという話自体をどう受け止めるべきか。


難しいところで。



別人であるパラレルエイゴに謝ったところで、

別の世界にいる彼を困らせるだけ。それで自分の気持ちがすっきりするのだろうか。


あかの他人の人様の人生にお邪魔して自分の気持ちを伝えることで本当に前に進めるのだろうか。


罪悪感が強く残るだけで終わるのでは。



この「パラレルエイゴに謝る」という動機に共感できない自分はここからのお話をどう受け止めていいのか。



個人的にはこれがこの舞台のスタートでした。




ただ舞台を観て最後に思うのは、


自分の性格的にも「自分が主役になること」「自分のやりたいこと」「自分の思ったこと」を優先に動くのがたぶんあまり得意ではなくて。これたぶん多くの人がかなり難しいことなので。


でも舞台を見て「自分のために何かすることも人生に1度くらい許されるのだろうか」とか、気にし過ぎなだけでもっと自由に生きていいのではないかとか、を1%くらいのほんの少しだけ思ったというのは、大きな1%の感情かもしれないなと。






とまぁ、

「謝りたい」をカスミのエゴみたいに言ったけれど、


細かく見ると、

別にカスミ自身は「そうできるならしたい」と思っていただけで、

本当にできると思って発言していたわけではない。



彼が死に、1年しか経っていない状況。

自分の行動を心から後悔して、なぜあんなことを言ったのか、

今思えば別の見え方が出来ているのに、

自分のしたことを許してもらうことも、やり直すことももうできず、

毎日ひとりの時間になると後悔に潰される。


もう解決することのないこの感情を抱えながら、

365日、毎日苦しみ、1年経ってもそれが小さくなることはなく。

時間が解決してくれることもない何も変わらない毎日が続くことで、

あー死ぬまでずっとこんな気持ちで生きていくのだと未来が暗く思える。


あの日から自分を見失い苦しんでいる。


自分が悪いのだから、誰のせいでもないし、

自分を恨み続ける毎日を過ごすカスミ。



それを見るに見かねた妹や科学者のアシストで、

今回パラレルワールドに行くことにしたわけであって。



あっちの世界に行って「謝る」という行為が、

”正しい”だなんてカスミは思っていなかったわけですからね。



その辺はわかって観ていたんだけどです。


いざ、目の前でぎゃーぎゃー泣かれると、



「うっせー!みんなそうだろ!」



という悪魔な自分が都度こっそり現れるっていう苦笑。


ほんとに自分ってひねくれてると思って観てたんですが。




この辺のモヤモヤはあったなぁと思うけど、

この作品へのというか、自分の考え方の話だからザレ×ゴトさんもキャストさんもあんまり関係ないですけど。







もう一つが、やっぱり小劇場の舞台を観ていてよく感じることだけど笑いがあんまりよくわからない。


このブログでいつも書いてしまっていて「オマエもう劇場来んなよ」と自分に言いたくなってるんですけど、笑って欲しいポイントでそれの何がおもしろいかわからないんですよね。



本当に面白いところにいく前に客が笑ってしまってホントはその一つ先がおもしろいのにとスッと引いちゃう蜂巣祭みたいなものもあれば、


本当に最初から最後までなにがおもしろいのかわからないみたいなこともありながら。




今回の舞台は相当笑い要素がふんだんに散りばめられていてホントにエゲツない量あったんだけど俺には何もハマらなくてちょっと大変だった。



別の舞台を観てる時は堪えられないくらい笑うこともあるから感情がないというよりは笑いのツボという話なのかもしれないですね。


機嫌は悪くないし、審査員みたいな感じで見てるクソ客スタンスでもないつもりなんだけど、難しかったです。

(客観的に見てもこのブログ書いてる人と相性あう方が難しそう)



まぁ笑いは信頼関係ですから導入のカスミに感情移入できてたら違ってたのかな。

あそこでモヤモヤを抱えていたことも後続が笑えない要因かもしれない。




と、嫌な感想はこの辺で。




ラスト30分。


TERUが異世界から来た彼らを助けたことで追われることになりエイゴが捕まるまでの流れの、この辺からのテンポのよさがよかった。



この舞台で1番好きだったのは、
エイゴが捕まったとき、マキが感情に流されることなく心を鬼にして自分で判断して「助けに行かない」選択をしたところは、今回のベストオブ双子の空だったなと思う。



『そうだマキ。それでいい。』


と勝手にうなづいてた。(誰)





とにもかくにも。



会ったばかりの人たちが自分の何かをかけて危険を冒して協力してくれる無償の愛のような何かには青春のようなものを感じたし、まぁ逆の立場ならそんなおもろいこと起きたら俺も手を貸すだろうなとも思ったし。


みんな良いひとたちだなと思いました。

とにかくこれ。


みんないいひとやな。




強引なラストも。

昨今、含みを持たせたり幸せにならないエンディングが多い中であの無茶苦茶なハッピーエンドがスカッとした。



最初に「そんな異世界の人様に自分のエゴで迷惑かけちゃダメでしょ」とか思ってた自分に対して異世界のパラレル集団が


"俺ら全員幸せなんでっ!"


って自ら乗り込んで言いにきてんだから。



こっちも「あーそうですかそりゃよかったよ笑」と笑うしかなくて。

本当に嫌味とかじゃなくて。


みんなが良かったなら良かったと思ったんですよね。



エイゴの笑顔はいつも他人のことを考えた笑顔で、とにかく優しかった。


そのエイゴが笑ってたので。

自分からはなにも言うことはないです。



あのラストは救われる結末だったな。






オープニングもカッコ良かったですね。



アイル、TERU、マキは好きなタイプの役者さんだった。

コトハの子もかわいかった。

また別の場所でも見てみたいです。




じゃあの



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