『夏芙蓉/ふぶきのあした』観劇①

くじら座なごやさん

『夏芙蓉/ふぶきのあした』を観ました。



6/26(日)13:00の公演


千秋楽だったようで。






『夏芙蓉』と『ふぶきのあした』


それぞれ約60分ずつの2作続けての上演。






(※『ふぶきのあした』の感想は別記事にすることにしました)






アナスイの小島ちゃんと、東出さん、猫田にきさんのTwitterをフォローしていて



東出さんは『君イモ』で。

猫田さんは『尻を見てしまう』で。



どちらもとても好きだった舞台で、

その中でも好きだった役者さんだったので




「え!この3人が同じ舞台にぃ!」と思ったと同時になぜか勝手に「名古屋かぁ」と思い、一旦ステイしていたら公演直前で実は池袋だったことに気が付いて予約したという



そんなどうでもいい話からスタート。



MJ


無駄な時間









今回は残念ながら小島ちゃんが直前にコロナで出られなくなってしまって。


こういう時は仕方ないと言っても残念だと言っても舞台良かったなどと言っても何にも触れなくても、もはや何をどう表現して文章にしたところで、文章にしなかったところで、全部不正解な気がしていけませんね。



舞台の感想も書くのやめとくかと思ったんですけれども。




でもまぁなんかね。



自分が利藤さんだったら、小島ちゃんだったら。




このイレギュラーな状況の中で演ることを選んで。

全員マスク着用したまま、しかも利藤さんは台本を持ったまま。



その判断をして演った中で観た人がどう思ったのか、

意見がないことの方がむしろ怖いのではとか思ったりもしました。



自分だったら、なんでもいいから聞いてみたい。



そんな感じで、

なんらか書こうという気持ちになっての今で御座います。






でも、いつもの通り「舞台の感想」ではなく、

「舞台を観て感じたこと」なので。


関係ない話いっぱいします。











ではネタバレするのでみなさんサヨウナラ。



あまりの早い梅雨明けにあつ森の世界はついていけないようで、我が島は毎日雨で御座います。











今回のは自分の余計な話を書きすぎたので、我に返ってどこかで非公開に戻す可能性高めです。














■夏芙蓉




冒頭の千鶴と舞子の雑談がわりと長い時間続くシーンで、

千鶴が何か言いたいことをわかった上で、あえて舞子がどうでもいい雑談をして千鶴が話はじめるのを待っているというか、言いやすい土台を作っている感じがとても出ていて



2人の関係性と、お互いの性格がとてもよくわかる冒頭でした。





関係ないけど冒頭のなんでもない時間が長いと真空ジェシカのコント『美容院』を思い出してしまう病にかかっている。





話を戻す。








高校を卒業しても、

サエとタマイがどうでもいいことで喧嘩をしているいつもの光景。



いつものように舞子がツッコミ、千鶴はそれを見て笑い、

なんとなくその場が収まるいつも通りの変わらない4人の空間。



そんな4人の関係性の中で、

時折、話の記憶にズレが生じている。






千鶴が寂しそうに「もう会えない」と舞子に話すところで



あぁそうか。


千鶴か、他の3人どちらか亡くなっているんだと察しました。





なんでもない時間が長く続くときはその場の誰かが既に亡くなっているのはよくあることですが、そういう舞台の外からの感想ではなくこの物語の中でそれを感じる4人の、千鶴と舞子の、空気がずっとありましたね。





結局、

亡くなっていたのは3人の方でした。



みんなでお出かけしたときの事故で。




千鶴は一人生き残ってしまった。

(千鶴視点の表現でいえば)




最初に「そのシャツ…」と千鶴が舞子に言ったのも、

あの日の。という意味だったわけだ。





自分がこのお話をどこまで理解できているか怪しいけど、


舞子が事故の瞬間ではなく翌日?というのもまた、悔やまれるというかなんとも言えない。



舞子の異変にもっと早く気付けていたらこうならずに済んだかもしれないという気持ちは関係する人は一生消えない。



そもそも千鶴は事故に関わっているし、たらればは永遠に続く。


これからは少し大変だ。



胸が痛いです。







なんというか、千鶴の感情はリアルだったと思うな。



突然居なくなると居なくなった人と会話しますよね。

突然じゃなくてもそうか。


これはきっとそうなんでしょう。






自分も中学のとき同じクラスの友達を突然亡くしたので、今回の舞台設定や千鶴の感情含めて色々と重なってしまったと思う。




こういうの口にすると軽くなるというか、粗末に扱っている気もするし、読んだ人もどう反応していいかわからない。

人がしんだ話なんてみんな経験しているしわざわざ言わない方がいい。


そもそも誰でも見れる場所で言うことではないと思っていたけど、



今回なんで書いてしまったのかな。


舞台の話に似てたのかな。

今メンタルがおかしいからか。



自分の話をするのが一番舞台の感想に近い気がしたのか。


いや、もしかしたらいつか誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。


わからない。





でも、千鶴が卒業証書を渡したくて、

まだまだみんなと話したくて教室に来たのはなんかわかるって思って。






自分(たち)の卒業式では1人1人名前を呼ばれて返事をする形式だったので

その友達の名前も先生に呼ばれて。クラスみんなで返事するみたいなことしたけど。


卒業証書はどうだったか。覚えてないな。




千鶴が卒業証書を渡してあげようとする姿がその辺と少し重なったというか。

なんか、まぁ、なんでしょう。その気持ちわからなくないというか。




まぁそんなのみんなわかるだろうけど。





なんだろう。


大事な人が早くにしんだ自慢なんてこれっぽっちもしたくないのは、

別に自分が特別だなんて一つも思わないからです。



それで「自分は命が儚いことを知っている!」なんてバカみたいなこと微塵も思ってもいません。



生きてたら全員大事な人を亡くしている。

そんな当たり前のこと、みんな知っていることを知っています。



どんなクソやろうもみんなそうだからわざわざ。


不幸自慢ほど虚しいものはない。


私も、私も、となるだけで。


みんないろいろあって今生きてることなんて当たり前なんだもんね。







でもせっかく書いたのでもう少しだけ自分の話を。



交通事故でもなくたぶん持病があったわけでもなく、

ただ朝、親が起こしにいくと既に。目を覚まさなかったと聞いて。

なかなか自分の中では感情が難しくて。



しに方に良いも悪いもないけど、ただ、

中学生で急性心なんちゃらのように突然友達がそうなるというのはなんか。

自分の場合はなかなか難しかった。



事故でも病気でもない。

感情がどこにも向けられなかったというか。



本当に人は何の前触れもたいした理由もなく今日いなくなるんだと。

わかっていたけどあらためてね。


そのショックというか、感覚が深く残ってしまって。

もちろん自分だけじゃないのはわかった上で。





もしかして前々日の体育祭の日。

自分とコチョコチョしてくすぐりあって遊んでたから。

それで心臓がおかしくなったんじゃないか。とか。


そんなわけないのにたとえ自分が犯人でも良いから、なんでもいいから理由を作ってこの理不尽を少しでも納得させようとしたりして。



そう、ほんとに休みの前の日まで一緒に遊んでいたのになぁ。






30後半になった今でもずっと明日友達や家族がいなくなってしまうのが怖いし、


余計なこと言って喧嘩したあとは特に、明日その人が目を覚まさなかったらと思うと。


追って連絡したくなってしまうけどそれは自分のエゴだと自覚して我慢して明日を待ったりして。




ほんとは大事な人とその日バイバイする時も未だに怖い。

別れた直後に家に着くまで電車でLINE続けているととても安心する。




いつも今日が最後だと思ってしまって不安な気持ちになる。

インスタのオンライン表示を見て生きているか気にしてしまう。



でもエスカレートしないようにしないとね。

自立しなければ。






というか、これは人の死どうこうではなくただの性格なのでは。


自己肯定とかそういう話でもないし、

彼を言い訳にしている場合じゃない。

めんどくさいこの性格なんとかしないといけない。







また脱線し始めてしまいました。



話を戻しましょう。






千鶴は「もう会えない」と言ったし、それはその通りだけど、

きっと3人を呼び出すのは卒業式直後のこの日だけじゃないんじゃないかな。



命日とかそんな特別な日だけでもない。





千鶴が舞子と話してるところを見ただけで、

なんでどちらかがこの世にいないと思ったのか。



わからないけどなんとなく当時の自分と似ていたからかもしれない。




自分の場合は15歳で友達が亡くなってから就職するまでの7,8年くらいか。

毎日いない彼に話しかけてしまっていた。


お風呂に入るときや寝る前に一人の時間が来るといつも。




今日こんなことがあったよとか、

あいつのこと好きだったんじゃないかなとか、

良い事があった日は自分だけ良いことがあって良いのかなとか思って泣いちゃったりして。




高校に入っても、大学に入っても、

毎日1日のどこかでずっと。


信じられないくらい引きずってるけど、

引きずるというネガティブな感じでも自分の中ではなかったんですけどね。





でも就職して、新人研修で寮に入って。

同期と一緒にご飯作って食べて、毎日寝る直前まで一緒にいるようになって。


1人の時間が極端に減って、話しかけない日が出てきて。




彼のことを一度も考えなかった日。


あー、こうやって忙しくなって歳をとって、彼のことを忘れていくんだ。と寂しい気持ちになったり、それでいいんだろうかと思ったりして。



でも


亡くなった側がいつまでもしんだ自分のことをずっと考えていて欲しいわけはないというのは、もっと前からわかっていたこと。


今を生きてくれと願っているのはずっと前からわかっていることだったので。



会社の同期と充実して毎日楽しく過ごしている自分をそのときようやく受け入れて、

長い間ずっと中学3年生のまま大人になってしまった自分と一つ区切りをつけたと思う。


毎日話かけるのをやめることは、彼を忘れることにはけして近づいていないということはあれから20年経った今時点ではわかっている。



彼もきっと話しかけなかった、忘れたあの日のことを喜んでくれていると思おうと思う。





舞台の感想になってないよね。

舞台を観て感じたことだから許してください。




うん。でもそう。

みんながそうとは言えない。



人それぞれだから、

自分のそれを千鶴に重ねるのはおかしいけど、


千鶴もこの先何度も舞子、サエ、由利に話しかけて、


いないみんなと新生活を一緒に生きていくことになるのかなと勝手に思って。




いや、でも千鶴はどうかな。


3人が亡くなってから毎日考えていたでしょうけど、

卒業するタイミングで一つ前に進もうとしたんですよね。





自分が亡くなったことを理解できていない3人を成仏させてあげる意味だったのかな。

わからないけど。




でも、本当に勝手に、

この舞台の千鶴のこれまでとこれからを自分と重ねてたくさん考えました。







舞子の話の中で登場した蓮美先生。



最後に出てきてくれましたが、

大きな愛を持って普通にしていて、かつ、千鶴を思いやっていて好きでした。


いい先生ですね。



舞子は廊下に立たされただのいつも怒られただの言っていたけど、

下の名前で呼ばれている時点で愛されていることもわかる。

まぁ小島先生が何人かいたのかもしれないけど笑





おじいちゃんおばあちゃん、親、友達、

いろんな人のそれらを力に変えてがんばれた人も、

いつまでも乗り越えられない人も、


蓮美先生ならこうした方がいいということを言わずに、

「別に(あなたはあなたで)いいんじゃない?」と言ってくれそう。







言わなくていいことですけど、


中学のときにもう一人、非常勤かで来ていた先生が街でたまたま遭遇した窃盗犯を追いかけて刺されてそのまま亡くなったんですけど、立て続けにいろいろ起きてこの世界はなんなんだろうと思いました。


でもそこから何か俺が教訓を得たかというと、そんなことはないです。


ただ悲しいという感情と、

人はすぐにしぬということが少し早い段階でわかったというだけ。

早くもないという人もたくさんいるだろうけど。





一つ話すとなんかタガが外れて必要ない話たくさんしてしまったな。



人はすぐしぬことを知っていても、今日を大切にしないといけないと思っていても、

余計なこと言って傷つけたり、謝っても許されないこと言ってしまったりします。



ほんとに自分が嫌になる。



気を付けていてこれだから、気を付けなくなったらほんとにおしまいです。

ちゃんとしないとね。



なんの話。







最後にキャストの方々の話を。


東出さん演じる舞子は本当に可愛くて、

自分を持っていて自由でやりたいことをやって言いたいことを言って、それでいて本当は優しくて、カッコいい、人から憧れられる舞子にピッタリだった。



タマイは、ん?小学生?という風貌とキャラクターで、かわいくておもしろかった。

サエとの掛け合いもよかったですね。


千鶴はもうたくさん話したのでいいと思いますが、

本当にリアルで素晴らしかったです。




サエは。


本当に正直に言うと、

やはり台本を持っては難しかったと思います。



でも、この舞台を上演する上での選択としてそれが正しかったと思うし、

「難しかった」という感想はこの状況でやれる選択肢の中で最も高い評価だと個人的に思います。



小島ちゃんは自分が好きな役者さんで、その人が急遽いなくなって「問題なかった」わけがないし、それをわかって自分の意思で観に行っています。




これを言うと小島ちゃんや利藤さんがどう思うのか、怖くて公開ボタンを押すのを何度もためらっているんだけど。



やはり、台本を見て話しているところを見ると物語から自分が外れてしまいそうで、目を逸らしてしまいました。


でも、サエから目を逸らすだけで舞台の世界の中で生きることができた。

声だけで物語を作った利藤さんは素晴らしかったと思います。


声以外でも演じていたのにと、嫌な感想だったらすみません。






利藤さんについて、


演出の上野さんがおっしゃっていた『品と愛嬌のある方』というのはまさにその通りだと思って。



あんなに丁寧で誠実な前説はなかなかないし、


今回の小島ちゃんのことでチケット関連で何度かメールをさせてもらう中でも、

とても丁寧で熱量のある文章をくださり、誠意ある対応をしていただいて。



利藤さんの人柄もあって、この状況ではこれ以上ない正解を出してくれたと思います。



小島ちゃんにはかける言葉が見つからないけど、

また今回のようにおもしろい舞台に連れて行ってくださいという気持ち!



そんな感じで長くなっちゃったので、ふぶきのあしたの感想はまた書けたら別記事で更新しよー





久しぶりにでもないけど、いろんな蓋が開いてしまった。


よい舞台でした。


じゃあの




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