『藍寫眞(アオシャシン)』観劇

1/19 舞台『藍寫眞』を観劇しました。


フライヤーは韓国ドラマ風ですが、時代背景からという感じでしょうか。




まゆおこと、山本真夢さんが出てたので知って、

ギリギリまで行くか迷ってましたが結果的に観れてよかったですね。



画家と写真家とモデルの話。



モンキー・D・ルフィのようにまっすぐで

いろんなことをわかった上でも「俺は○○だ」と自分の意思を貫く強さと

仲間たちへの愛を持つ画家。



いろんなことをわかった上でも

相手の気持ちを優先する優しい写真家。



これまで決められたことを決められた範囲で、 

箱の中から飛び出さず生きてきたモデルの女。


そんな3人の物語。


時代背景なども、ある視点では重要な要素ではありますが、 ここでの感想としてはあまり気にしないで進めたいと思います。




「3人の物語」


そう書いたけど、さっそく訂正します。



これは、ある少年とおばあちゃんの話。


 少年はピアノが上手で一生懸命練習していた。


しかしコンクールで準優勝に終わり、まじ無理ぃってなっていた。 

おばあちゃんは、そんな夢を諦めようとしている彼のために昔話を始めた。 


それが、この3人の物語。 





導入だけ少し物語を。


画家と写真家は仕事が終わるといつもある場所でそれぞれ芸術の製作活動に取り組んでいた。


いつものようにその場所に向かう途中?だったか、仕事に向かう途中だったか。

画家は、女性とぶつかりそうになった。


何かを感じた画家は一方的に

「君の絵が描きたい。夕刻、○○へ来てほしい。」と伝える。


女性は迷った上で「断るため」にそこを訪れ、断りを入れるも

「嫌だ!」と自分の気持ちをぶつける画家。

「おいおい」となだめるいつも相手の立場で考える優しい写真家。


しかし画家に「オマエは彼女を見て何も感じないのか?」と言われ。




「俺からもお願いする」と頭を下げる写真家。

戸惑うモデル。

オッケーだよなと祈る画家。

それを観るオレ。


「わかりました」と承諾するモデル。

喜ぶ写真家。

喜ぶ画家。

喜ぶオレ。←要らない登場人物part.2




そこからなんだかんだあって、

その綺麗な女性は彼らのモデルとなり、

画家と写真家とオトンとオカ…、モデルの日々が始まったわけですね。




画家に対する俺の感想は、

彼はけしていつも自分のことだけを考えて強引なわけではなく、

「絶対に良いものができる。」という自信と大きな夢と、

「絶対にこれはキミのためにもなる。」という優しさと、

「絶対に俺は出来る。やる。」という弱気を潰すための弱者が持つ強者のメンタリティ。



一方の写真家は、

「(被写体が撮られたくないだろう状況で)ここでシャッターを切れば良い写真が撮れる」

「(被写体の心に陰りがあるとき)今のまま撮っても良い写真は撮れない」とわかっていながらも、

相手の気持ち、被写体の気持ち、状況などを考えてシャッターが切れない優しい男。

画家にも指摘されたそんな一面は、はたして短所か長所か。



画家は強くて、写真家は弱い(優しい)というような描画だったが、

個人的には、観方を変えると逆だった。写真家は強く、画家は弱かった。

まぁ人間として当たり前のことを今言っていて恥ずかしいが。



自分の弱さを見られないように、抑え込むかのように、

常にポジティブな強い言葉で進んでいき、努力を続ける画家。


そう映ったがどうなんだろう。


なんにせよ、この二人はとても良い関係だった。

その二面性を互いに支えていた。



ツイッターでは、レミゼラブルのアンジョルラスとマリウス。と表現したが、

それは何も服装が赤と青だったからという話ではない。


画家もアンジョルラスも人を惹きつける魅力で溢れていた。

写真家もマリウスも一歩引いた視点で物事を見れるし、優しいだけではなくとても頼りになった。


まぁ細かく言ってみようかと思ったけど、

ざっくり言うと何がというわけではなく、なんとなく似ていたと感じた。




そしてモデル。


モデルにとって画家は、

常に"自分"が主語で良いことも恥ずかしげもなく言葉に出来てしまうまっすぐなその姿は

「自分に最もないもの」「欲しいもの」だっただろうと感じる。


「いつ死ぬかわからない」という彼の生き方は人を惹きつける。

とても尊敬していただろうし、バカな部分も可愛げがあった。

そんな彼に終始見え隠れしていた奥に潜む弱い部分に対しても、

助けてあげたい気持ちもあったのかもしれない。



写真家に対しては、

人に優しい強さを感じてこちらも尊敬の気持ちがあっただろう。


「モデルは本当は写真家のことが好きだった」という話もどこかで聞いたが、

それもひとつだが、自分のせいで画家が死んだ状況を前にして、

本当の気持ちが何かというのはとても難しい議論だ。



とにかく、この二人との日々は、これまで政治家の父親と枠の中で生きてきた彼女にとって

とても刺激的で毎日が楽しかっただろう。

自分がどんどん変わっていくのが自分でもわかるくらいの日々だ。

時代背景もあり、周りからそれらの芸術が否定され、よくない目で見られていても

それを超えるくらいの意味が、彼女の中であっただろうなぁと。






そして、この舞台で地味に刺さったのが写真家を表現する言葉のひとつひとつ。

具体的には忘れてしまったんだけど、普通ではなかった気がしました。


自分自身、写真を撮るからというのも大きいんだろうけれど、

写真を撮る人って実はあまり肯定的な表現で言われることが少ない。


自分自身、この舞台に出てきた写真家と正確や考え方が似ているところもあり、

まぁ多くの人に当てはまる像だと思うんですが。


相手が嫌な気持ちになるような写真は撮りたくないし、

細かい話だと、ライブの写真を撮るときもリハがある場合はこちらもカメラのセッティングで1,2枚撮るに留めて、

リハーサルで撮った写真をSNSに上げることもまずしない。(リハ撮影NGのときはセッティングもしない)


説明しづらいけど、今撮ったら良い写真になるとわかっていても、

相手が「撮ってください」と言っていない瞬間を撮ることには抵抗があって出来ない。


拳銃を向けているのと同じくらいの感覚があるのかもしれない。

撮ってなくてもカメラを相手に向ける行為をそんなに軽くは見ていない。





少し脱線しましたが、この舞台で写真家を形容した表現はどれも肯定的だった気がしました。

あぁそういう見方があるのか、というか。そう思ってくれるのか、というか。


今回の舞台ではニュアンスしか出ていませんが、

よく「心のシャッターを押す」というクソダサい言い回しがあると思いますが、

あれはあながち嘘ではありません。


使われる表現としては、思い出を胸に刻むということですが、

実際に写真を撮る人はカメラを持っていなくても音が鳴るくらいのシャッターを押していることがあります。


(自分の場合カメラはただの趣味+勉強もしていない)


ライブとかを見てても、ある瞬間を写真の画角でシャッターを切っていることがある。

この感じは気持ち悪いのかわかりませんが、心のシャッターというダサい表現が実際にある。


自分がライブの写真を撮り始めたのは2年くらい前からかそれくらいですが、

それより前にはあまり感じなかったです。


撮るようになって、良い表情をしていたり、ある瞬間をカメラを持っていないのに

写真に収めている瞬間がある。


この舞台には、そういうどこか写真を撮る人にはわかる表現があった気がして。


まぁここで、舞台で出てきたセリフ、例えば「○○」や「△△」というのが1つも出ない時点で無駄な話なんですが。






少年と写真家は血がつながっているのか。

おじいちゃんなのか。


というのは、個人的には考えた部分ですが、

どうやら違うらしいです。


ただ、まぁそんなことは観た人が決めることでもあるので自由だと思いますが。




画家は先のことをある程度考えていたでしょうが、

彼は本気でその場その場に対応したという感じが強い気がします。


何かが起きたときに、「じゃぁどうしようか」という切り替えスピードが早い。



画家も写真家もモデルも、人間性好きでした。





今年は、まぁ前に言いましたけど、個人的にもいろいろと作っていく年にしようと思っていたので、そこに対してもさらに意欲をもらえたなというところでした。



絵って記憶にあるシーンを描けるけど、写真はその時しか撮れなかったり、

逆もいろいろあって、絵にしか出来ないこと、写真にしか出来ないこと、

絵だから、写真だから、絵と写真だから。


いろんなことも考えられた。




本質的にはこの物語は、

今のこの原色しか許されないSNS時代に


0か1か。ダメか良いか。許す、許さない。


すべてが原色。




発信者よりも受け取り側が圧倒的に力を持つ

グレーや淡い色の許されない世界で、



がんばることってとても難しくなってきているけど、



「やっていい」


行動を起こすことを肯定する気持ちというのが

この舞台を観て出てきた気持ちかなと思います。






「うーっし、やるかぁ」




って感じですね。






まゆおが演じた役も、遊び人のようで、それでも頭もキレる女で、

物語がとてもスピーディに進む部分で重要なシーンを担っていたけど、

なんというか、"ちょうどよかった"と思ってます。


これは褒めているつもり。




まゆおに関しては2016年から知っていたし、たまには舞台も観ていたのに、

去年、タテウチと共演してから、もうすごい頻度で急速に舞台とか観る量が増えていて、



まぁそこに意識がいっているのかもしれないけど、

行ける日に舞台があるとかいうことが偶然増えだしている気がしますけど。


元々、多少思ってはいたけど、まゆおはタテウチと似ていて。


真面目というか、正義感が強いというのか、愛があるというのか、

常識があるというのか、なんといっていいかわからないけど、


ちゃんとしてるから苦労しているという感じか(笑)。


まぁ二人の性格のところもとても共感する部分がある。



その舞台が面白いかどうかは脚本も演出も大切でそこへの信頼は必要ですが、

出演者の欄にちゃんとした意識で舞台に立っている人がいるかどうかというのはその舞台に行く一つの理由になるなとは思います。


しょうもない人たちの舞台はしょうもないですからね。



じゃあの。(突然


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