肌色を無くした後の世界。
最近、
「色鉛筆の肌色ってなくなったよね」みたいな話を聞いて。
なるほどー。
と思いまして。
あえて調べずに言うんですけどきっと
・肌の色はひとそれぞれ。
・「正しい肌の色がコレ」みたいになる。
要は人種差別を助長する。
とかそういう話なんですかね。
「スタッフがおいしくいただきました」系の話って、
このやり方ではきっと目的を達成はできないのにって思っちゃって。
というより、そんな小さな変化を達成することで満足なのかというか。
実際、おいしくいただく件に関しては、テロップは、
「これは月亭方正が叩かれるために育てられたごぼうです。」でもなんでもいいわけで。
抗議したことが何らかの形で反映され変化した時点で、目的が達成されてしまう。
訴えている人は問題が良い方向に向かったかなんてどうでもいいように思える。
(これは漫才やコントに対する「えーー」という歓声の話、要はドラマはフィクションとして見れるのにそれ以外はドキュメンタリーとしか見れない問題も一部、若干関わりそうだけど今は分散するから一旦無視して。)
肌色を色鉛筆やクレヨンから無くしたり、
呼び方を変えた後って、それ以外に何か変わるんですかね。
色を一つなくしたこの世界は、
あなたの変えたかった未来に近づいていますか。
あなたの救いたかった人は笑顔になれましたか。
これから救える人が増えそうですか。
色を変えるニュースがあるならば、
そのあたりの話も、聞きたいなって。
これをした結果、どうなったか。
思っていたのと違うのなら、戻してもいいはずで。
あえて調べてなかった自分が、
調べなくても入ってきたのは「肌色なくなったよ」ってことだけで、
「それでこんな良いことがあったよ」は入ってこないんですね。
床に落ちた食べ物を。
顔になげたパイを。
スタッフがおいしくいただいたことで、
あなたの大切な何かは守れましたか。
守りたい世界に近づいていますか。
もし、思っていた結果と違うのなら。
少しやり方は違うのかなって思うんですよ。
障害者、障がい者、障碍者問題って。
漢字考えるのって、なんか全部解決した後かなぁって。
優先度そんなに高くないかなって。
簡単に変えられることで救える気持ちがあるなら、
優先でもいいけど。
この漢字を変えるだけでも、ものすごい時間議論しているし、
これで苦しんでいる当事者の人ってとっても少ないんですよね。
考えている外野はめちゃくちゃ多いんだけど。
いるのはわかるし、その70億分の1も大事ですよ。
外野が無関係とも思わないしね。
でも本当に救いたい人のプロセスとは思えないなぁって。
聞きたいのは。
あなたには、肌色を無くすことで救いたい人はいましたか。
食べ物を大切にすることで、救いたいものがありましたか。
俺は、これらのニュースを見て感じられないんですよね。
とても救いたい人がいたようには。
そもそも被害者がいなくて、加害者しかいないんじゃないかなって。
あなたがこの世界から肌色を無くして変わったことって、
悪いことを、問題を、解決したのではなくて、
何も悪くなかった人たちを悪い人だと言っただけで終わってませんかね。
救いたい被害者の人はいないのに、加害者だけ増やしてませんか。
本当に、人種差別に苦しんで、無くしたかった人が
肌色を無くしたいと思うのかなって。
思ってしまって。
最初に戻って。
なんで、この話をあえて調べなかったかというと。
たぶん意味あるんかなぁって。
肌色なくなってよかった人とかいるんじゃないかなぁって。
だから、先に調べて知る前に、
まずは俺の想いを書きたいかなと。
自分の想像もできないことってあるじゃないですか。
名前だけで、名称とかだけで、苦しんでる人いるんでしょうね。
そういう人は、名前なんか変えて意味ないって言葉に胸を痛めたかもしれないですね。
でも、きっとそれは別の問題があるじゃないですか。
別の問題があるから、そんなことで苦しんでるじゃないですか。
当たり前ですね。そんなの。
その過程で、まずはすぐにできることで、
名前変えようってことなんですよね。
特に日本以外の方はそこに対する気持ちが強いことも。
わかってます。
でも、今の世界って、そのワンクッションの部分で終っちゃう。
だから。
だけど。
ここから先は自分の中で書いて終わります。
おやすみなさーーい
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