「雨を忘れる。」観劇

少し前になりますが、8/12 , 13で舞台「雨を忘れる」を観劇しました。


12日はBチーム。

13日はAチームを観ました。




魔銃ドナー以来のまゆおの出る舞台。

タテウチからのツイッターでのお知らせを見て、まゆおの名前があって嬉しかったし、実際観て、やっぱ山本真夢、良いなぁと思いましたね。


ちゃんとやってる人たちは当たり前に良い。

そういう意味ではタテウチも、幸樹くん(初めて観た)もすごくよかった。





この舞台は、再演とのことで前回の評判が良かったというのを目にして、

今回自分は初でしたが楽しみにしていました。


ここからはネタバレします。







まずは、HPに載っているあらすじ。


----

ただのうのうと生きていた。

 ふとテレビから流れてきたニュースの中で
昔好きだった人が死んだ。

 その日、日常に生き続けていた僕は何者かに殺された。 

そして僕は、当時の夢を観た。 

見過ごした過去に
来るはずだった未来に 

向き合うことになった僕は忘れていた出会いを思い出した。 

雨が止まなかった、あの日を。 

君が倒れていたあの雨の日を。 

僕が通りかかったあの雨の日を。

----



お話の内容としては、

昔の恋人を通り魔によって亡くした太一が、

恋人の命を救うため、タイムリープし過去をやり直すという物語。




太一は突然過去にタイムリープして何がなんだかわからない状態の中で、

頭の良い詩織の弟の志郎と出会い、過去の志郎に「姉ちゃんを守ってくれ」とだけ伝え。



そして、またなぜか元の世界に戻ってきた太一は元の世界の志郎に出逢う。

元の世界はさっき行った過去から10年後の世界。志郎は刑事になっていた。



過去を変えたことで今の世界が変わったことに気が付き、

この体験から「詩織を救うため」にタイムリープを続けるわけですね。




結論を言えば、

詩織は親友である瑞希に殺されてた。



志郎が「この中に犯人がいる」と言った太一の友人2人と、詩織の親友・瑞希の3人を指して言った時点で、まぁ普通に考えたらそうだろうと思ってた。

(太一を突き落とした人そんな身長高かったっけ?という疑問を除いて)



瑞希にとって詩織は何よりも大切な友人で、

その詩織が太一に取られてしまったという気になった。

自分でもどうしていいかわからないほどにそんな気持ちが積み重なって、

結果的に詩織を殺してしまった。



そう考えるのが一番ふつうだから。

まぁ結果的にはだいたいその通りだったわけですが。




個人的にこの物語の中で一番よかったというか印象的なのは、太一が詩織の親友である瑞希の気持ちに気がついて寄り添っていくシーン。



タイムリープを繰り返す中で、詩織を太一に取られて不満が募り、そんな自分も嫌いだけどどうしても許せないという瑞希の気持ちに対して、


気を遣って詩織との時間を作った太一のこのシーン。





加害者が生まれる多くの過程にこうした積み重ねがあって、被害者だった人が加害者になってしまう事件がすごく多い中で


今回は誰が悪いとかではないし、誰かがひどいことをしたとかではないんだけど




いや、マジで人の気持ちってこういうことだよなというか。

特に学校という場所はこういうことで溢れているよなと共感したし、




本質とズレている部分もあるけど「雨を忘れる。」を見て俺が一番印象的なシーンでした。

このシーン好きだったな。





まぁ実際見た印象としては、太一がちょっとドヤ顔をしているおかげで「詩織が殺されないために」やっている行為で瑞希のためではないようにも見えて、


けして心から100%良いものに見えない部分もあるんだけど、

俺がこの日見た太一ってこういうやつで、この時の太一の感情は純粋に瑞希の気持ちを考えてのものなんですよね。

ただ太一はすぐに忘れて思いやりも継続しないんですけど。




タテウチは前回、いなかった役「太一の妹、皐月」として出演。

パラレルワールド、タイムリープという中で

妹の皐月がいたことで「太一が今いる世界に残された人」という要素が生まれて



太一がやっているタイムリープは正しいのか、それは誰にとって。

とか、皐月の存在がさらにいろんなことを考える一つの要素になっていてよかったです。




ただ、太一が目の前でタイムリープするシーンでは、

皐月の爆発している感情とオレの中でズレはありました。



このパラレルワールドの世界をあのザックリした志郎の説明で理解して、

そのタイムリープをそのテンションの感情で見送ることが果たしてできるのか?



実際にはそこにいた太一がいなくなった後で、

いろんなことを理解して、あの感情になるんじゃないかな。



太一がいなくなったところで、タテウチの皐月のあの爆発した感情のシーンだったら、

オレの感情はついていって、一緒に、これは辛くも「必要なことだ」と皐月と一緒に前を向けた気がした。

「タイムリープして暗転しなければいけない」という要素を別の演出にできれば。








そして、さっき"人の気持ち"という話をした後で、

批判的な意見を書くのは嫌なんだけど、正直な気持ちを。





この舞台で一番に思ったのは、

主演の太一役の方が違えばきっともっと素晴らしかったということ。




太一役の方がどんな方で、どんな経歴で、今回の主演に選ばれたのか


そのあたりは知らないので、これがチャレンジだったのか、ベストだと思ったのか、わからず言ってしまうけど(言いたくないけれど)、けっこうこの太一を受け入れるのは難しかった。




「そこでその太一の感情は違うよね」ってシーンが多かった。正直。



志郎役の幸樹くんが素晴らしかったのもまたソレにさらに拍車がかかった。




姉を失った志郎の感情は痛いほど伝わったし、

見ていてグッと引き込まれたけどその中で太一とやり取りをすると、


「え?ふざける?」って思うような表情や身体の力の入り具合とか、

あまりに演じ過ぎてて、「太一、今、見られてること意識してるよね?」っていうのが



志郎は本気で泣いているのに、そのシーンで太一も泣いてるんだけど、

それはまるで子供が欲しいものをねだるときの人の目を意識した泣き方のようで、

「ウソ」過ぎて舞台上にあった感情が現実世界の三栄町LIVEステージに何度も戻されたんですよね。




まゆおは、関西弁がすごく下手でしたよね。

最初のワンシーン、関西弁である必要あるのかなと思うほどに。


ただそんなのすぐに気にならなくなった。最初のシーンだけ。

関西弁を演じてるという印象がすぐに消えたのは、まゆおは完全に詩織だったから。



細かい何が下手かとか演技が下手かどうかとかいうより、

責任をもって演じてるかみたいなとこが。




この出演者さんたちの中で、唯一違ったのが、太一だったなという印象。


いや、”違った”と思っているからこの感想なわけで、もしかしたら太一ってこういうやつなのかもしれない。


そうなると、役者さんがという問題よりも太一という人間があまり好きではなくて、感情移入出来なかった。って感想が正しい。




あとは、大家さんがあまり必要のない存在になってしまったことも。

本来の意図としては、大家さんには二つくらい役割があった気がして。

どちらも中途半端だった。



たぶん難しいけど大家さんがめちゃくちゃ面白ければ違ったのと、

もう少し裏テーマをわかりやすく描ければ大家さんの意図は伝わった気がしました。


AとBを観ましたが、自分の理解力のなさも重なって、

大家さんのシーンと、上に書いた太一の熱のこもったシーンでの演技は、ノッキングになってしまった。



さらに言うと、

志郎「2028年 8月○日に四谷には行くな!と伝えてください。」

太一「そうか、それで来たやつが犯人ということか」


というやり取りがあまりにバカ過ぎて、

志郎はそんなこと言わないだろうとか、それは志郎が太一がどこまで自分で考えられるか試したのでは?とか思ったし、


むしろオレが犯人でそれ言われたら2028年の犯行当日


「8月○日。ん?あぁ、昔太一が言っていたな。太一はわかっていたのか。」

と、自分が殺すと決めた朝にそんなピンポイントで昔予言されていた日にちと同じだったら、

むしろ「運命」と感じて、殺しにいくだろうなと思うし。


とか。



そんな細かい感情の連鎖はあったし、なんか否定的な意見も多く書いてしまったけれど、



上に書いた瑞希の気持ちに寄り添うシーンを筆頭にこの舞台から感じるものがあったし、

タテウチとまゆおしか知らなかったオレも気になった役者さんたちもいた。


和人を演じたA、Bの両キャストの方はどちらも好きだったし、特に幸樹くんはまた観たいと思った。



Bチームの和人はあからさまに知的で医者目指してそうで、

声も聞き取りやすくて、かつ大学生のときにあえて太一に突き放した言い方しそうで、まさに和人だって思ったんですけど、


Aチームの和人は、こういうナリで頭良いやついるよなっていうのと、

悪そうなのに、あからさまに良い人でめっちゃ優しそう感がにじみ出てて、好感しかなかったし、


この和人があそこまで太一に感情出して怒ってくれた場面はすごくよかった。




舞台の中でタイムリープによって「選択」をするシーンが多くて、

”自分だったら”ということを多く考えられてそれもまた良かったし、

観てよかったという気持ちの方がずっと大きいということは書いておきたい。



↑の”自分だったら”については、



途中志郎が「お姉ちゃんを何度も殺すな!」と言ったときは、

でもどこの世界でもいいから生きてて欲しいとオレなら思うかなとか。

(結果的には志郎もそう言っていた)



太一が最後に選択した「雨を忘れること」。

自分と出逢わない世界についても。

 

果たして太一と出会わずに長生きする詩織の世界が、詩織の幸せなのか。


そもそも詩織はその選択で長生きするのか。瑞希に殺されない保障は?

確立はあがる気がするけど、そしてそもそもの心臓病は。



あとは太一がこの雨を忘れることを選択するには、

志郎の言葉から連想されたにしてもあまりに不十分な確証で、


いろんな感情がある中で、自分なら最後はタイムリープしないんだけど、一つでも望みがあるなら詩織の生きている世界を作りたいという太一の選択もわかる。



この「太一と関係することで不幸になる」ということに対して、「愛する二人に神様はなんて酷いことを」に残念ながら今回ならなかったのは、



それまでの"演技"もあってこの決断が「自己満足」に見えてしまったから。


たぶん太一が違ったら、この選択に「うん」ってなってた気がしてるんですよね。




結論全部それで申し訳ないし、なんか申し訳ない感想なんだけど、

太一役の方が適当にやっていたようには全く見えないから難しいし、

もう観たくないとかそんな印象ではないんですけど、「もったいない」という表現が想いに近いのかもしれません。



ちゃんとやってるのは伝わったし、太一や舞台に対する愛もあったと思うけど、

この物語を観たオレの感想はソレでした。すみません。




総じて感想がアンチ太一という見方になってしまったのは、

そもそも頭の悪い太一の性格もあった気がするので、役者さんに「そこまで言わなくても」という気持ちもちょっと芽生えていますけどね。



ただ14日に一緒に行った友人も「太一役の人の演技が…」とこちらから何も言う前に言っていて、「ね。」ってなったので少なくともそう感じた人はいるんだと思います。



そういうこと含めて、少し残念な気持ちがありつつ。

役者さん一つで物語の感じ方が変わるってことは、

悪い例みたいに書いてしまったんだけど、これはこれで良いですよね。




それくらいの責任とか役割があっていいよねっていうか。

逆に演技一つで、全員が高い意識でやれば、すげぇ作品に出来るっていうのは。



「舞台に出る」ってそれだけなら相当がんばってそこそこ無理すればたぶん出来るんだけど、

そこで「また観たいと思う舞台にする」役者さんはやっぱ凄いし、そんな人をたくさん知ってるし、すごくあって欲しいし。






あとは、個人的に13日より14日の方が良かったですね。

タテウチはあんま変わらなかったけど、みんな少しだけど気持ちが高い位置までいっていて、舞台上の空気が良かった。それが観れたのが、14日も観てよかったと思った一つ。



Aチームの方が良いって結論というよりは、たぶんその日のノリ。

細かな演技のクオリティとかじゃなく、舞台上の一人一人の熱が少しずつ14日の方が上回っててよかったなという話で。


まぁ意味のない感想かもしれないけど。




また、タテウチとまゆおが一緒に10月舞台やるので、楽しみにしたいと思います。


0コメント

  • 1000 / 1000